HOMECar MUSEUMKARASU 特別展示
- 1965 KARASU (カラス) 特別展示
- 1965 TOJIRO-Ⅱ 特別展示
- 1966 TOJIRO-Ⅲ 特別展示
- 1966 MACRANSA 特別展示
- 1969 KUSABI 特別展示
- 1971 PANIC 特別展示
- 1978 DOME-ZERO
- 1978 Formula Junior Prototype
- 1978 Formula Junior Production Car
- 1978 F-3 Production Car
- 1979 DOME P-2
- 1979 DOME-ZERO RL
- 1980 TOM'S Corolla G5
- 1980 DOME Celica Turbo
- 1980 DOME RL-80
- 1981 DOME RL-81
- 1982 DOME RC-82
- 1982 TOYOTA TOM'S Celica C
- 1983 TOYOTA TOM'S 83C (1983)
- 1983 DOME RC-83
- 1983 DOME RC-82i
- 1984 TOYOTA DOME 84C
- 1985 TOYOTA DOME 85C,85C-L
- 1985 DOME DCFI BLACK BUFFALO
- 1986 TOYOTA DOME 86C,86C-L
- 1987 TOYOTA DOME 87C,87C-L
- 1988 DOME F101
- 1988 TOYOTA 88C-V
- 1989 JIOTTO CASPITA
- 1991 DOME F102
- 1991 ESPERANZA
- 1992 ESPERANZA Ⅱ
- 1992 DOME F103
- 1993 DOME F103i
- 1993 PIVOT
- 1994 DOME F104
- 1995 DOME F104i
- 1996 DOME F105
- 1997 HONDA NSX-GT '97
- 1998 HONDA NSX-GT '98
- 1998 ML PROTOTYPE
- 1998 SRS-F〈SUZUKA RACING SCHOOL〉
- 1998 FD
- 1999 HONDA NSX-GT '99
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- 2000 HONDA NSX-GT '00
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- 2001 HONDA NSX-GT '01
- 2002 HONDA NSX-GT '02
- 2003 HONDA NSX-GT '03
- 2003 F360-GT
- 2003 DOME F106
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- 2005 HONDA NSX-GT '05
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- 2007 HONDA NSX-GT '07
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- 2012 DOME S102.5
- 2012 HONDA HSV-010 GT '12
- 2013 HONDA HSV-010 GT '13
- 2015 STRAKKA DOME S103
- 2015 DOME F110 TOM'S
- 2015 MOTHER CHASSIS
- 2019DOME F111/3
- 2023DOME CONCEPT SPORTS
KARASU - カラス 1965
解説
なんと言っても、これが童夢の原点です。
1965年、林 みのる青年が重症の車造りたい病におかされて悶々とした日々を過ごしていたとき、後のトヨタワークスドライバーとなる同級生の鮒子田 寛から電話があり、そのころ親しくなっていた浮谷東次郎が自分のHONDA S600をGTカーに改造してほしいと言っているとのこと。
さっそく東次郎と会って打ち合わせをしましたが、なにしろ当時はみんな貧乏だったからふたり合わせて予算は6万円しかありません。
今の感覚で20~30万円というところでしょうか。
予定のレースまであまり時間が無いので、とりあえず軽量化と外形の空力対策、とは言っても当時はダウンフォースという概念がまだ無かったから空気抵抗の削 減がメインテーマで、ノーズコーンとファーストバックのハードトップを製作することにしました。
当時、19歳だった林は予算も経験も工場もスタッフも時間も何にも無い状態から製作を開始して、やっと借りた友人のガレージはFRPの強烈な臭いが原因で 追い出され、しかたなく借り物のトラックの荷台で作業を続けたりしていましたが、ついには行き場を失って自宅の部屋に持ち込み、そこでサンダーなんかで FRPを削ったりしたものだから、画家だった父親の絵に白い粉が降りかかって大喧嘩になったり、とにかく、レーシングカーを開発するなんてイメージとは程 遠いプロセスを経て、なんとかレースの前日に形になったという始末です。
途中でS600は足回りの改造のために移動させたので、型をあわせるような肝心のときに現物が無い状態で、いざ現場で取り付けようとすると平気で 2~3cm狂っていたりしてなかなか取り付かなかったのですが、東次郎が新車のS600のボディにドリルでバリバリと穴を開けて無理やり取り付けてくれた おかげで、なんとかレースには出られるようになったのは有名な話です。
その白いボディに取り付けた小汚いFRPパーツは悪い意味でかなり目立っていましたが、そのころ友達になった現在の無限の社長である本田博俊青年(当時) が「戦闘機の防眩塗装にしたらカッコ良いぜ」と言ってつや消しの黒色塗料を買ってきて、みんなで刷毛でぺたぺたと塗ったおかげで、やや粗は目立たなくなっ た次第です。
先のとがった真っ黒な外観から、誰言うと無く「カラス」と呼ばれるようになり、デビュー第一戦の「鈴鹿クラブマンレース」で優勝する事ができました。